イスラエルの農業
3日目に参加したバスツアーで、イスラエルの農業について少し知ることができた。
そもそもイスラエルやパレスチナの土地は日本ほど緑豊かではない。特にヨルダン渓谷と呼ばれる死海がある谷は、 大昔に湾だった。それが隆起して海水が閉じ込められたので、土には塩分が含まれている。
しかし、イスラエルは高い農業技術を持って土壌を洗浄し、砂漠の中にオリーブ、デーツ(なつめやし)、松などが育つようにしている。
バスで死海の近くを走っていると、所々に植物が生えているのが見えた。
バスガイドがこてこてのユダヤ教徒で、「パレスチナの人々にできないことを私たちはしている。この土地の改良に貢献している。」とアピールしていたのが印象的だった。
朝日新聞の最近の記事に、より詳しい内容が書かれているのでリンクを貼っておく。
2019.05.09 高橋友佳理 朝日新聞GLOBE「イスラエルの乾燥地農業、最前線を見る 『砂漠に花を咲かせる』建国来の夢」
https://globe.asahi.com/article/12352739
2019.5.24 高橋友佳理 朝日新聞GLOBE「パレスチナで見た、占領地の農業のリアル」
https://globe.asahi.com/article/12391278
海抜0m地点。
エルサレムからバスでヨルダン渓谷に向かう途中。茶色い山々が広がっていた。
死海。鉛色。
死海の近くの道路。両端に植物群が見える。
イスラエルの入出国手続き
イスラエル旅行で心配だったことの1つが入出国の手続きだ。非常に厳しいことで知られている。
まず、イスラエルの入国手続き時、入国スタンプを押されないようにしなければならない。
スタンプがあると、イスラエルを認めていない中東各国に入国できなくなる。私の場合、中東に行く機会は滅多にないので、押されても問題はほとんどないだろう。しかし、入国できない国があるのは何となく嫌だし、今後もしかすると仕事で出張の機会があるかもしれない。
昔はパスポートチェック時に「No stamp!」と言って、入国カードをもらう必要があったようで、旅行経験者のブログでは、間違ってスタンプを押されてしまったバックパッカーの話を目にした。
幸い、ベングリオン空港ではスタンプを押さずに入国カードが配られるようになっていた。
これが入国カード。入国日、有効期限、パスポート番号、顔写真が載っている。わざわざこのような特殊な手続きにしなければならない、イスラエルの嫌われっぷり。。。
帰国時の手続きも厳しい。人によっては手荷物をくまなくチェックされる。
普通、空港到着は国際線であれば2時間前が目安だが、イスラエルに限っては3時間前(!)となっている。長い!
チェックインカウンターの近くでまずパスポートチェックがある。その際に過去に他の中東国の入国履歴を見て、「普通」と「要チェック」に分けているらしい。私の場合、パスポートチェックではイスラエルに来た目的、滞在中にヨルダンに行った理由、以前ドバイに行った理由を聞かれた。そしてチェック済みのラベルが発行される。
ヨルダンもドバイも旅行しただけなのだが、「要チェック」に分類されてしまったようだ。ラベルには数字しか書かれていないので、自分がどちらに分類されたか、手荷物検査に行かないと分からない。手荷物検査の係の人はラベルの番号を見て、「普通」のラインと「要チェック」のラインに振り分けていく。
私のラインでは、手荷物のX線検査の他、鞄を開けさせられ細長い金属探知機のような物で鞄の中をチェックされた。
幸い手荷物検査ラインが空いていたのでそこまで時間はかからなかった。しかし、旅行シーズンで混んでいるときは、前述のパスポートチェックと手荷物検査に時間がかかりそうだ。3時間前に行くようと言われるのはこの手続きを見越してのことだろう。
あと、金曜日が安息日(シャバット)なので、金曜日の午後は空港までの移動手段が限られる。今回は金曜日午前中の移動だったが、空港までの高速バスは混んでいた。それでも待たずにギリギリ乗れたのは幸運だったのだろう。
以上がイスラエルの出国手続きだ。イスラエル旅行を検討されている方の参考になれば嬉しい。
ちなみに、政治の影響でアクセスが制限される国は他にもある。
今回のは旅行先候補にイランもあった。しかしイランの入国実績があるとアメリカに行けなくなるとのことだったので、候補先から外した。仕事柄、アメリカの出張は十分あり得るからだ。
これだけグローバル化が進んでも、アラブと欧米諸国という枠組みはしっかり残っているように感じた。
パレスチナの伝統文化:服飾、住居、刺繍
パレスチナの伝統文化を知るにはパレスチナヘリテージセンターに行くのがよい。パレスチナヘリテージセンターはベツレヘムの町中にがある。イスラエルが建設中の壁や、世界一眺めの悪いホテルにも近く行きやすい。センターの外壁にはバンクシーアートもある。
Palestinian Heritage Center
http://www.palestinianheritagecenter.com/
Maha Sacaさんがパレスチナの伝統文化を伝えるために1991年に建設した。中はパレスチナの服飾、住居、刺繍の展示とギフトショップからなっている。
パレスチナ刺繍が施されたクッションカバーや壁掛けが所狭しと並べられている。色鮮やかで目を奪われる。
お土産用に小ぶりの物もたくさん売っている。
服飾の展示。買うこともできる。私は予算オーバーで断念。
中東というと、女性は真っ黒なチャドルを着ているイメージが強いが、パレスチナの衣装は刺繍が入ってカラフルだ。
地域ごとの伝統的衣装のマップ。パレスチナの中でも多様性がある。
ベドウィンのテントの再現。
Maha Sacaさんはあちこちに宣伝活動も行い、ベツレヘムの官公庁のメンバーにもなるすごい方なのだが、普通にセンターにもいらっしゃる。ご本人と話したところ、店の奥の部屋も見せていただけた。
ユダヤ教徒のアイデンティティ:服装、言語、土地への思い入れ
旅行中を通して、ユダヤ系のアイデンティティの強さには驚かされた。特に服装、言語、「約束の地」に対する思いについてまとめる。
<服装>
イスラエルにはUSやヨーロッパから移住してきた人や、その子孫が多く住んでいる。エルサレムの町に入ると、まず、黒服に身を包む超正統派のユダヤ教徒が目に付くようになる。男性は大きな黒い帽子を被り、白いシャツに黒いコートを羽織っており、ヒゲとモミアゲが伸びている。女性はひざ下丈の黒のスカートで襟付きシャツを着ている。
超正統派ユダヤ教徒の男性、女学生
嘆きの壁で祈る人々。
超正統派の方々も多く見られる。
なお手前でカジュアルな服装をしているのは観光客。観光客でも中に入ることができる。嘆きの壁の入り口に観光客用のキッパが置いてある。
ユダヤ教徒が多く住む通り(バスの中より)。
また、服装は私たちと同じだが、日常でキッパという帽子を被る人々がいる。
エルサレムの通り。前を歩く男性がキッパを被っている。
キッパを被らないユダヤ教徒も多い。
<言語>
ユダヤ教徒はヘブライ語を話す。英語を話せる人は多いが、ユダヤ教徒同士で話すときはヘブライ語に切り替えていた。
ユダヤ系の居住区では、電車やバスの行先表示、スーパーに並んでいる物までヘブライ語の記載が基本だ。スーパーで陳列されたものを見ても、何か分からないことがよくあった。英語を話す人が多いのに、英語を併記しないのは彼らのこだわりのように思えた。
現地の食料品。デーツシロップ、デーツの実、ワイン。
<信条>
イスラエルにいるユダヤ教徒は、イスラエルが聖書の「約束の地」であるという思いを持っている。イスラエルの建国の歴史やシオニズム運動は学校で教わるが、実際に目の前にいる人が「約束の地だ」「自分たちのルーツだ」と言うのを聞くと、その想いの強さに圧倒される。
例えば、参加したバスツアーのガイドはUSからの移民であった。しかしイスラエルがユダヤ教徒のルーツだから移住してきたという。
それまで育ってきた国を離れて外国に住むのは、大変な労力がいる。気候が違うから適用するのは大変だし、新しい仕事だって見つけなければいけない。それまでのユダヤ教徒への抑圧の歴史を見れば、ユダヤ教徒にとってそんなことはハンデにもならないかもしれない。しかし私にとっては、シオニズム運動でイスラエルに移住してきた人々は皆、相当の覚悟を持って移住してきたように見えた。
旅行者にもユダヤ教徒がいる。英語のバスツアーに参加したせいもあるが、欧米からの旅行者にはユダヤ教徒だからイスラエルに来た、という方々が1/4程度いた。自分たちの宗教との結びつきを感じてイスラエルを訪れているのだ。
旅行を通して、まさしくイスラエルの土地はユダヤ教徒のアイデンティティの一部なのだ、と実感した。また、ユダヤ教徒はようやく手にした土地で自分たちの理想の国を作ろうとしているのだということを、イスラエルの人々と話すなかで感じることができた。そして、彼らの「約束の地」に対する愛着の強さが、パレスチナ自治区との和平を難しくしているように思えた。
パレスチナ自治区からイスラエルへ:検問
バスでパレスチナ自治区からイスラエルに戻る途中、自治区との境でセキュリティチェックがある。パレスチナ自治区に入るときは素通りするのだが、イスラエルに入る時は必ず止まり、パスポートチェックを受ける。
検問所の前でバスが止まると、パレスチナ人だけがぞろぞろとバスを降りていく。彼らは外でイスラエル兵の前に一列に並び、順にパスポートを見せる。終わるとまたバスに乗ってきた。
イスラエル人と私のような外国人はバス内で待機する。バス内にも銃を持ったイスラエル兵が乗り込んできて、順番にパスポートをチェックされた。
同じパスポートチェックでも、わざわざパレスチナ人だけ降ろす。
一緒に中でチェックすればいいと思うのだが、治安が安定しているからそう言えるだけなのかもしれない。イスラエル側からすれば、敵対している地域の人間を受け入れるのだから厳しくチェックするのは当然、ということなのだろう。
しかし、このような行為がパレスチナ人はイスラエル人とは違うのだという意識を植え付けているような気がしてならない。
バスの車窓からみるベツレヘムの街並み
ヨルダン アカバ:ヨルダンの外交力
旅行中、幸運にもヨルダンに行く機会を得た。ヨルダンは日本のメディアにはほとんど登場しない。実際に訪問すると、中東の外交について考えさせられた。
ヨルダンの所在地(Google map)
特にイスラエルからヨルダンに入ったところにある街が印象的だった。名前はアカバという。イミグレがあり、紅海に面しているリゾート地でもある。また、ヨルダンが持つ唯一の港町として、軍事的にも重要な場所だ。
アカバは、イスラエルに面しているだけでなく、エジプト・UAEまではそれぞれ車で30分だそうだ。
(Google mapで作成)
実際にバスで走ると紅海に沿って、イスラエル、エジプトと続いているのを見ることができる。目と鼻の先で中東・アフリカの大国と対峙していることを考えると、美しいリゾート地が途端に緊張感を持って迫ってきた。
日本は島国であるが故に、隣国であっても海の向こうだ。アカバのように、車で30分のところに外国がある場所に住む人々はどのような気持ちになるのだろう。エジプトやUAEにとってみれば、陸、海、空を使って攻め入ることは容易だ。また、外国同士が喧嘩しても自国が影響を受けかねない。アカバに来ただけでも中東の外交の難しさを垣間見たような気持ちになった。
さらに、ヨルダンは北でシリア、イラクとも接している。いわば中東のオールスターに囲まれているのだ。
ヨルダンは立憲君主制で、Hashemite家(読み方はハシミテ、ハシュミット、ハーシム等)が外交を司っている。ガイドによると、この王家の政治がしっかりしており、諸外国と良好な関係を築いているという。冒頭でヨルダンは日本のメディアに登場しないと述べたが、それだけ政治が安定していてニュースになるような事件が起きていないのだと気づいた。
私が得た情報はUSから移住したガイドさんや、日本語のウェブページからなので、どちらかというと西欧諸国寄りの見方になっているのは否めない。しかし、国民からの信頼を得ていると感じたのと、代替わりしても大きな諍いがなく統治しているという点にヨルダン王家の実力を感じた。
アカバのイミグレ。
アカバの景色1
アカバの景色2 国土の80%は砂漠。
バンクシーのパレスチナ自治区への貢献
匿名のアーティスト、バンクシーのパレスチナ自治区に対する貢献は計り知れない。
彼は突然現れて公共スペースに絵を残していくことで有名だが、パレスチナ自治区では絵以外にホテルのプロデュースまで行っている。そのホテル「The Walled Off Hotel(通称、世界一眺めの悪いホテル)」はパレスチナ自治区の目玉観光スポットだ。さらに、付近にはバンクシーの絵がいくつかあり、他国からの旅行者を引き付けている。
アートを通して自らの意見を主張するだけでなく、観光スポットを増やし、ホテルで職まで提供するのだからすごい。経済活性化という意味ではこれ以上ない貢献方法だと思う。
①壁に残されたバンクシーアート
平和の象徴である鳩が、防弾チョッキを着ており、おまけに銃で狙われている。
②バンクシープロデュース、世界一眺めの悪いホテル
壁の真ん前にホテルが建っています。
1階にはカフェと博物館があり、誰でも使用することができます。バンクシーの作品がいっぱい!
バンクシー作品その2。
「郊外の風景」と書いてあります。もともと郊外の景色が飾られていたが、焼失したということ。
バンクシー作品その3。
暖炉の上の海の絵には、浜辺に打ち上げられた空っぽの救命ボート。大勢の難民が海で遭難したことが思い出されます。
他にもいろいろあり、1つ1つにパレスチナ問題、あるいは戦争・紛争に対する批判が込められています。