イェリコ:イエスが誘惑と戦った山
世界最古の町を見るためにイェリコを訪問しようとしたが、タクシー運転手からツアーの押し売りにあい、出だしから散々な目にあってしまった。
そのツアーという名の強制連行先の最初にあったのが誘惑の山(Mount of Temptation)だ。
誘惑の山は、イエス・キリストのゆかりの地で、マタイによる福音書第4章に記述がある。
なんでも山で40日間断食し、悪魔に誘惑された場所だという。
https://ja.wikisource.org/wiki/マタイによる福音書(口語訳)#第4章
<私の意訳>
悪魔 :お前が神の子なら、石をパンに変えてみろよ!
イエス:人はパンだけあればいいってもんじゃない。神の口から出る言葉で生きるんだ!
悪魔の発言は小学生のいじめっ子が言いそうなことだ。悪魔とは、絵でみるような羽が生えた黒い生き物ではなく、信仰に理解を示さない我々人間のことを指しているのかもしれない。
それに対して40日間断食を経たイエスの発言は洗練されている。
悪魔との発言の対比によって、神の言葉の重要性が際立っていると感じた。
誘惑の山には、その後修道院ができ、現在はそこを見学することができる。
さて、訪問当日は聖書の内容など全く調べる余裕がなかった。
緊張する中でのタクシー運転手との口論、価格交渉に疲労困憊である。そして時間が経つにつれて沸々と怒りも湧き上がってきて、山上に着く頃にはよく分からない精神状態だった。
そんな私の混乱とは対照的に、修道院は静かで、落ち着いていた。
迎えてくれたドーム。
岩に天井がつけられ、絵が描いてある。
思わず見入ってしまった。
教会内部。
岩の形状を活かして作られた修道院の廊下。
神秘的な雰囲気。
断崖絶壁に作られる修道院。岩に穴が開いている。
イエスの顔が書かれた扉
山上からイェリコを見渡す。
イエス・キリストも同じ景色を眺めたのかもしれないと思うと感慨深い。
下で山を見上げてたときは、なぜこんな場所に修道院を作ったのか、と思った。
しかし、山上に行って分かった。修道院の中は、俗事から切り離されてひっそりとしていた。まさに静謐。
ここで祈りの日々を送れば、悪魔の言葉なんて戯言に聞こえるのかもしれない。
修道院を出て、山上から町を見下ろす頃には私の気持ちも多少落ち着き、「まあ仕方ないか。イェリコを楽しもう!」と思えるようになった。修道院の静けさに助けられた旅だった。
マサダ国立公園:ユダヤ教徒離散の始まり
旅の途中で死海に浮くツアーに参加したことは他の記事でも述べた。
そのツアーでは、一緒にマサダにも訪問することになっていた。
マサダはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区のすぐ南にある。死海のビーチも近い。
マサダはヘブライ語で「要塞」という意味だそうで、死海のほとりにそびえ立つ岩の要塞をそう呼ぶ。ほとりと言っても砂漠で緑はほとんど見えない。
日本では馴染みがないが、この要塞は約2000年前、ユダヤ戦争でユダヤ教徒がローマ軍と最後まで戦った場所だ。この戦いで負けて以降、ユダヤ教徒は世界中に離散することになった。
私にとって「マサダ+死海ツアー 1日コース」のハイライトは死海であった。
死海に浮くこと、そしてインスタ映えする写真を撮ることがツアーの最も重要な目的であり、マサダは『地球の歩き方』を読んで「ふーん」と思う程度の興味しかなかった。
しかし、行ってみて遺跡の壮大さに圧倒されてしまった。
説明によると、遺跡は長さ650m、幅300m。死海から450mの高さにある。
上面が平たい巨大な岩をくり抜いて、人が住めるようにしていた。
今はふもとからケーブルカーで上ると、要塞の中を歩いて見学できる。
マサダの模型。上側が要塞。
ケーブルカーで一気に要塞へ。
マサダは要塞といいながら、宮殿や居住スペースなど、様々な施設が設けられている。
また、要塞の岩壁には雨どいのように雨水を流す細い水路を設け、雨水を貯水槽に貯められるようにしてある。蒸気を使った大浴場、食物貯蔵庫、シナゴーグ(ユダヤ教徒の祈りの場)もある。
今はカラカラに乾いた大地の巨大な岩だが、ユダヤ戦争当時、籠城していた人々の生活水準は意外と高かったのではないかと感じた。
ローマ軍が攻めてきた場所。要塞の西側に当たる。
要塞に籠っていた960人のほとんどはローマの奴隷になるより自決の道を選んだ。
要塞の北側。細い道が通っている。
倉庫跡。大きさに驚く。
説明によると、トウモロコシ、ワイン、油、デーツ(なつめやし)を保管していたそうだ。
死海は昔はもっと手前まであった。
大浴場。火を起こして浴室全体を暖める。
昔のユダヤ人も仕事の後のひとっ風呂を楽しみにしていたのかも。
頂上から下を見下ろすと、ローマ軍が包囲した時のキャンプの跡をいくつか見ることができる。
いくらマサダが立派な要塞とはいえ、包囲を受けながら籠城し続けたユダヤ教徒の恐怖はどれほどのものだっただろう。それでもローマ軍には投降しなかったところに、ユダヤ教徒の意思の強さを感じる。
だが、第二次世界大戦中の沖縄と同様、最後は集団自決という悲しい結果を残した。
ツアーガイドがこてこてのユダヤ教徒だったので、見学中は彼が遺跡の素晴らしさ、ユダヤ教徒にとっての価値を熱く語ってくれた。
ツアー客には欧米諸国から来たユダヤ教徒も複数名いた。彼らにとって、マサダの訪問は聖地巡礼に当たる。
英語の現地ツアーはマサダを含むものが多かったのだが、それはこのような海外に住むユダヤ教徒のためではないかと思った。
イスラエル・パレスチナ自治区で何を食べるか?
イスラエルで有名な食べ物を聞かれることがあるが、回答に困ってしまう。
イスラエルに行く前は、現地で何が食べられるか全く想像できなかった。滞在したエルサレムはどちらかというと内陸なので「肉がメインかな~」などと勝手に思っていた。あと、聖書によく出てくるパン・ワイン・オリーブはあるのではないかと予想していた。
行って分かったのだが、「何でもある。※ただし予算による。」
これぞイスラエル料理!というものには現地で出会うことができず、どちらかというと中東やトルコの料理が多いと感じた。
初日にトライしたのは2つ。
・フムス:ひよこ豆のペースト。パンにつけて食べる
・ファラフェル:豆のコロッケ
この2種類はファストフードで、どちらも街中のフードスタンドで購入できた。至る所にお店がある。
フムスはパンにつけて頬張るとクリーミーな中に酸っぱさが広がっておいしい。付け合わせにはピクルスと生玉ねぎが付く。
ファラフェルはパンにお好みの野菜とメインを選んでサンドイッチにしてもらう。ホステルに持って帰って夕食にした。
豆と野菜中心なので少し物足りない気もするが、低予算で食べられ、どこでも買えるので観光客には有難い。
また、エルサレムではレストランが多数ある。ハンバーガー、フレンチ、イタリアンetc. 一通り揃っている。中にはクルド料理店なんていうのもあった。市場の食品売り場には、ケバブ、シュワルマ、バクラワなど、他国で見た料理もある。これらはどこかの国の料理というよりは、中東で広く食べられているのかもしれない。
さらに、ユダヤ教徒が多いので、コーシャー料理店が非常に多い。1ブロックには1つあった気がする。試しにコーシャー料理のカフェに入り、サラダとスープを頼んでみた。スープは野菜と豆がたっぷり。寒さで凍り付いた体を温めてくれた。サラダもデーツの甘味とドレッシングの酸味が相まって美味しかった。
魚も食べられる。友達と魚料理のレストランに行ったが、美味しくて驚いた。ワインの種類も多く、料理に合うワインをテイスティングしながら選ぶことができた。
Sea Dolphine
イスラエルはワインが有名だ。エルサレムにはワインショップがいくつもある。普段お酒は飲まないのだが、雰囲気に乗せられて一本買って帰ってきた。いつ飲むかはまだ決まっていない。
◆フムス
◆フードスタンド
Subwayのように好きな野菜を選び、サンドイッチにしてもらう。
◆コーシャー料理店のサラダとスープ
◆魚料理レストランにて
◆おまけ
ホステルの朝食。なぜか蜂蜜が信じられないほどおいしかった。
死海の泥を売る
旅行中、死海に浮くという素敵な体験をすることができた。死海はイスラエルとヨルダンの国境にある。イスラエルから死海ツアーが出ていて、私はエルサレム発のツアーで死海とマサダ要塞を巡るものを選んだ。ちなみに、レンタカーでも2時間あれば着くので、自分でいく人たちもいるらしい。
8時過ぎにエルサレムのホステルの裏でバスに乗ってから、ヨルダン渓谷を目指してバスは猛スピードで走る。途中、海抜0m地点で下車して記念写真を撮るというイベントもあった。
標高がどんどん下がるので、次第に蒸し暑くなっていく。エルサレムは海抜700mほどで、死海は-430mだ。気温は海抜100mごとに0.6℃上がるから、計算では7℃近く上がることになる。しかしエルサレムは風が強く乾燥して寒かったのだが、死海は湿度が高く風も穏やかなので、体感では10℃以上変わった気がした。
ひたすら茶色い山に囲まれた道を走っている間、死海に対する期待は否が応でも高まっていく。青い海が見える晴れたビーチで、死海に浮きながら写真を撮る。そんな様子を想像したらテンションが上がって仕方なかった。
死海が見えた。
え、灰色?
道の向こうに見える死海は私の想像した海の色から程遠く、重たい色をしていた。一瞬、汚染しているのではないかと思う色だ。しかも湿度が高く曇っている。周囲は植物がほとんど生えておらず殺風景だ。インスタ映えからはほど遠い。
死海に着くと、さすが世界に名だたる場所だけあって、よく整備されていた。多くの観光客が水着で思い思いに過ごしていた。ビーチのそばには「世界一標高の低いバー」もあり、多くの人が昼間からたむろしている。ビーチには人がごった返しており、みんな浮きなが写真を撮ったり、ビーチの椅子でのんびり過ごしていた。死海は塩分濃度が濃すぎて20分以上は入れないので、近くでゆっくりするのがメインになるらしい。中には顔に泥を塗りたくってお化けみたいになった女性もいる。死海の泥は、水分が蒸発してミネラルが凝縮されているのでお肌にいいという。だから顔に塗っているのだ。
お土産物屋では死海の泥を使った化粧品が大人気だ。泥そのものも売っていた。1パック$18。高い!しかし人気なのか店頭に山積みになっていた。死海から泥をすくって売るだけのビジネスとは…。死海の灰色はミネラルたっぷりの泥の色で、死海のビジネスパーソンからしたら黄金色にも等しいのだろう。
死海のビーチから少し離れた場所には、死海コスメの工場もある。AHAVAという会社で、キブツというイスラエルの集団農業の共同体から発展した。ツアーで連れていかれたのだが見ていると保湿やアンチエイジングの化粧品が充実しており色々と欲しくなってしまった。
灰色の海は観光資源であり、また化粧品産業を支えていた。
<写真>
◆死海のビーチ
死海のビーチ
世界一標高の低いジューススタンド
世界一標高の低いバー
死海の泥。1個18ドル。4個で36ドルとかなりの割引。
◆AHAVA社
化粧品工場。出荷作業を行っていた。
化粧品
◆海抜0メートル地点
「SEA LEVEL 0」。Eが抜けている。
イエス・キリストが生まれた場所・死んだ場所
イスラエル・パレスチナ自治区に巡礼者が多く集まるのは前の記事で書いた通りだ。
私は今回の旅で、嘆きの壁、岩のドーム、教会と色々な宗教施設を回った。どこも人々の信仰が詰まっていて、美しかった。
この旅行は無計画と言ってもいいほど行先を決めていなかったのだが、それでもエルサレムの聖墳墓教会とベツレヘムにある聖誕教会は事前に下調べの段階で何となく行きたいと思っていた。
クリスチャンではないものの、キリスト教系の学校で聖書を学んだことがある。「ベツレヘム」や「ガリラヤ」という地名は反応するし、イエス・キリストの誕生と最後十字架に磔にされたエピソードは何度も聞いた。
イスラエル・パレスチナ自治区はまさにイエス・キリストが生涯を過ごした場所で、2,000年の時を超えて人々を惹きつけてやまないこの人のゆかりの地は、多少なりとも見ておきたいと思っていた。
<聖墳墓教会>
初日の夕方に聖墳墓教会に行った。聖墳墓教会は、十字架に磔にされたイエスが死んだ場所に建てられており、カトリック、ギリシア正教、アルメニア正教など様々な宗派がお祈りできる構造になっている。
教会のドームの下にはイエスの墓がある。行くとこの墓を見るのに、観光客がひしめいていた。彼らはドームの周りでぐるりと列を作っている。その人の多さと言ったら!ディズニーのアトラクションのようだ。日本でも有名な神社やお寺には人が並ぶが、こういうのは世界共通なのだと思い知らされた。
私はあまり並ぶのは好きではない。しかしエルサレムに次来るのはいつか分からない。もしかしたら一生来られないかもしれない。そう思うと、これはお参りせねば!という気持ちになり、列に並んだ。
並ぶこと1時間。
外見は一見祠のようだ。中は人が一人は入れるくらいで、暖炉のような穴があり、床には星印がつけられている。人々はそこにかがんで、お祈りしていた。私も見よう見まねでお祈りした。
他にもイエスの聖骸に香油を塗った場所、各種礼拝堂など祈る場所があり、人が多く集まっていた。
<聖誕教会>
イエス・キリストが生まれた場所は聖誕教会として立派な教会になっている。着くと欧米諸国から来たツアー客が続々と中に入っていっているのが見えた。
前日、聖墳墓教会の列を思い出し嫌な予感がした。
不安は的中した。
中に入ると、教会の入り口から奥まで長蛇の列ができている。列は地下に続いていた。地下には暖炉のような小さな洞窟があり、中の床にはイエス・キリストが誕生した場所とされる星形の印が刻んである。みんなこれを見るために並ぶのだ。
結局、地下にたどり着くまで30分ほど並んだ。
地下は美しく飾られており、馬小屋らしさは微塵もない。馬小屋のレプリカや絵などあってもいいと思うのは私だけだろうか。
しかも人が狭い場所に人がごった返している。順番に洞窟の中にかがみ、星形のところにキスをしていた。大人から小さな子どもまで全員である。
私は万人の唇が触れたであろう場所にキスするのはかなり抵抗があり、手を触れるにとどまった。
パレスチナ自治区のベツレヘムにある。ここはエルサレムからバス停で一本なので比較的行きやすい。バス停から聖誕教会まで、商店街を歩くことができる。アラブ系の町なので、聖誕教会と近くのミルク・グロットの教会以外はキリスト教らしさはない。
聖誕教会は午前中に行ったのだが大正解だった。欧米諸国からの旅行者のツアーが来るので、遅くなると混む。
ミルク・グロットは聖母マリアの母乳がこぼれて白くそまった場所に建てられた教会である。聖誕教会から徒歩5分くらいだったと思う。
観光客が比較的少なく、落ち着いた雰囲気を持つ美しい教会なので、聖誕教会に行った際はぜひ訪問されることをおすすめする。
<その他の写真>
◆聖誕教会
教会内部
中庭
美しい回廊
聖誕教会前の広場
◆ミルク・グロット
洞窟のような作り。静かで落ち着く。
イスラエル・パレスチナ自治区に集まる巡礼者たち
イスラエルとパレスチナ自治区には様々な聖地がある。何にせキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地が揃っている場所である。特にエルサレムの旧市街などは石を投げれば聖地に当たるだろう。(そんな失礼なことはしないが。)
したがって、他の旅行地と比べて、聖地巡礼をする方の数が多い。
私がイスラエルのベングリオン空港に着いた時も、日本人の団体が到着ロビーに着いた途端、首にキリスト教のモチーフが入ったスカーフを付けるのを見た。聖地巡礼に来たのか、何かイスラエルでキリスト教の活動をするのか、それは分からない。
旅の玄関口、ベングリオン空港。非常に綺麗。
だが、日本と違い、イスラエルの、特にエルサレムに来ると、そういった宗教色を表に出しても全く違和感がない。超正統派のユダヤ教徒は黒い帽子と服を身に着けているし、イスラム教徒の女性はヒジャブ(髪を隠すスカーフ)を被っている。色々な人がいるので、何か宗教を強く信じている方たちにとっては、過ごしやすい場であるように思えた。
私が旅行中に出会った人々は様々な目的を持って来ていた。
日本人は最終日に空港で会った二人の女性のみだったが、どちらもクリスチャンで、エルサレムで他のクリスチャンの巡礼の案内をしていたという。
マサダ要塞と死海のツアーには、ユダヤ教徒が多く参加していた。
私は行くまでマサダ要塞を知らなかったのだが、ユダヤ戦争の終盤にユダヤ教徒がローマに敗れた場所で、ユダヤ教徒の離散が始まった場所であった。
断崖絶壁のマサダ要塞。ここにユダヤ人が立てこもり、ローマ軍と戦った。
初日に出会ったドイツ人の女性は、エルサレムで「ウィア・ドロローサ Via Dolorosa(ラテン語で悲しみの道の意)」を行うと言っていた。
これは、イエス・キリストが最後の日に裁判で有罪判決を言い渡されてから十字架にかけられるまでに、十字架を背負って歩いたルートをたどるものだ。間に14の聖地があり、クリスチャンの多くがこの道を巡る。
左側がVia Dolorosaの道。
イスラエル・パレスチナ自治区にいると、このように様々な人に会うことができる。
また、途中から他の旅行者と雑談する際は「この旅行は何か宗教的なものですか?」と聞くようになった。これは相手の宗教に対する配慮からくる問いで、巡礼者であればそれにまつわる話ができるし、無意識に相手が嫌なことを言わないよう気を付ける。
私だけでなく他の旅行者もよくこのように質問してきた。この地域の旅行者にとっては基本的な話題と言えるだろう。
日本にいると、宗教的な話題はタブーとされがちだが、積極的に宗教の話ができるところに、面白さを感じた。
ヒシャーム宮殿(パレスチナ自治区 エリコ)
パレスチナ自治区のエリコに行った主な目的は、世界最古の町の遺跡(テル・エスルターン)だった。
しかし、タクシー運転手のツアーの押し売りによって、強制的に他の観光地も見て回らされることになった。無理やり高いツアーを売りつけられ、テンションが下がりきった私がタクシーに揺られて向かったのがヒシャーム宮殿だった。
説明によると、ヒシャーム宮殿はウマイヤ朝からアッバース朝(730年~950年)の間、カリフの冬の保養所として使われていた。宮殿には、ホール、風呂場、上流階級の人々の居住スペース、噴水、門があったとされている。
中庭には星形のレリーフが埋め込まれた窓があるのだが、この星形は今エリコのシンボルとなっている。
訪問したのは昼下がりの暑い時間だった。まずチケットを買い、横の部屋でヒシャーム宮殿の説明のビデオを見た。そして遺跡見学。
最初は、無理やり連れてこられた場所なので、さっと見て終わろうと考えていたのだが、見出すと夢中になってしまった。
まず、石に掘られたレリーフが素晴らしい。
シンボルの星形は、ガイドブックで見るより大きく、ホールの真ん中で威厳を放っていた。周囲にある比較的小さい石にも、精巧な装飾が施されている。
モザイクは、風呂場に残っている。少し色あせていた。ただ、説明書きによると、当時は中庭を含めて床一面にタイルが敷き詰められていたようで、当時の宮殿の立派さを想像できた。
宮殿は「生命の樹」というモザイクも有名なのだが、残念ながら、修復中で見ることができなかった。
宮殿から少し離れた場所には、アッバース朝時代の居住スペースの発掘作業を行っている。
結局、太陽が照り付けて暑かったにも関わらず、くまなく見て回った。
遺跡の石はただ置いてあるという状態で、触れられるほどの距離(触らないが)で見ることができる。私が行った時期は他の見学者もおらず、穴場スポットを見つけたような気分になった。
嫌々連れてこられたものの、見学後は大満足で遺跡を後にした。
ヒシャーム宮殿は、ガイドブックでは、大きく取り上げられていない。
しかし当時のエリコの繁栄やカリフの権力の強さを感じられるスポットで、エリコに行く人がいれば、ぜひお勧めしたい場所だ。
行き方:行きにくいので、現地ツアー推奨。
自力で行く場合は、エルサレムからアラブバスでエイザリヤへ。そこから乗り合いタクシーに乗り換え。エイザリヤでは、バス停の向かいにタクシー乗り場があります。
エイザリヤのバス停・タクシー乗り場前。
イスラエルとはまるで雰囲気が違う。
<その他の写真>
◆ヒシャーム宮殿
◆ヒシャーム宮殿のパンフレット