イスラエル・パレスチナ自治区に集まる巡礼者たち
イスラエルとパレスチナ自治区には様々な聖地がある。何にせキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地が揃っている場所である。特にエルサレムの旧市街などは石を投げれば聖地に当たるだろう。(そんな失礼なことはしないが。)
したがって、他の旅行地と比べて、聖地巡礼をする方の数が多い。
私がイスラエルのベングリオン空港に着いた時も、日本人の団体が到着ロビーに着いた途端、首にキリスト教のモチーフが入ったスカーフを付けるのを見た。聖地巡礼に来たのか、何かイスラエルでキリスト教の活動をするのか、それは分からない。
旅の玄関口、ベングリオン空港。非常に綺麗。
だが、日本と違い、イスラエルの、特にエルサレムに来ると、そういった宗教色を表に出しても全く違和感がない。超正統派のユダヤ教徒は黒い帽子と服を身に着けているし、イスラム教徒の女性はヒジャブ(髪を隠すスカーフ)を被っている。色々な人がいるので、何か宗教を強く信じている方たちにとっては、過ごしやすい場であるように思えた。
私が旅行中に出会った人々は様々な目的を持って来ていた。
日本人は最終日に空港で会った二人の女性のみだったが、どちらもクリスチャンで、エルサレムで他のクリスチャンの巡礼の案内をしていたという。
マサダ要塞と死海のツアーには、ユダヤ教徒が多く参加していた。
私は行くまでマサダ要塞を知らなかったのだが、ユダヤ戦争の終盤にユダヤ教徒がローマに敗れた場所で、ユダヤ教徒の離散が始まった場所であった。
断崖絶壁のマサダ要塞。ここにユダヤ人が立てこもり、ローマ軍と戦った。
初日に出会ったドイツ人の女性は、エルサレムで「ウィア・ドロローサ Via Dolorosa(ラテン語で悲しみの道の意)」を行うと言っていた。
これは、イエス・キリストが最後の日に裁判で有罪判決を言い渡されてから十字架にかけられるまでに、十字架を背負って歩いたルートをたどるものだ。間に14の聖地があり、クリスチャンの多くがこの道を巡る。
左側がVia Dolorosaの道。
イスラエル・パレスチナ自治区にいると、このように様々な人に会うことができる。
また、途中から他の旅行者と雑談する際は「この旅行は何か宗教的なものですか?」と聞くようになった。これは相手の宗教に対する配慮からくる問いで、巡礼者であればそれにまつわる話ができるし、無意識に相手が嫌なことを言わないよう気を付ける。
私だけでなく他の旅行者もよくこのように質問してきた。この地域の旅行者にとっては基本的な話題と言えるだろう。
日本にいると、宗教的な話題はタブーとされがちだが、積極的に宗教の話ができるところに、面白さを感じた。